弘法大師

弘法大師について

親しくお大師様とお呼びする弘法大師は、宝亀五年(七七四年)六月十五日、四国香川県善通寺市に誕生されました。
 
幼名を真魚(まお)。仏弟子となられ空海(くうかい)と名乗られて、延暦二十三年(八〇四年)三十一歳の時、入唐(にゅうとう)されました。恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に師事、密教の秘法を相承し、経論・曼荼羅・法具類をもたらし、真言宗をお開きになられた。
 
お大師様のご活躍は

・大同四年 (八〇九年) 三十六歳 高雄山神護寺(たかおさんじんごじ)に入る。

・弘仁七年 (八一六年) 四十三歳 高野山 (こうやさん)の地を嵯峨天皇より賜り、開創に着手。真言宗の根本道場として金剛峰寺(こんごうぶじ)と号した。

・弘仁十四年 (八二三年) 五十歳 東寺(とうじ)を賜る。真言宗の教えを高くかかげ、教王護国寺(きょうおうごこくじ)と称された。 また一大宗教活動だけにとどまらず、教育・文化芸術・土木建築など多くの分野で大きな功績をのこされました。

・弘仁十二年 (八二一年) 四十八歳 四国の満濃池(まんのういけ)の修築事業を指導、完成される。

・天長五年 (八二八年) 五十五歳 わが国初めての庶民のための学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創設される。

・承和二年 (八三五年) 六十二歳 三月二十一日 高野山にて御入定

・延喜二十一年(九二一年) 御入定八十六年後 醍醐天皇より弘法大師の諡号を賜る。

弘法大師稚児像

稚児大師は「弘法大師生誕一千二百年」を記念して、昭和四十八年(一九七三年)六月十五日に、米沢市出身の彫刻家「桜井祐一」氏に監修を依頼、九里学園元校長「九里茂三」氏を奉賛会長とし、多くの方々の協力で建立された。

弘法大師修行銅像

弘法大師修行銅像は、「弘法大師一千百五十年御恩忌」を記念して、多くの方々の協力で建立された。昭和五十九年九月、真言宗豊山派第二十二世管長・総本山長谷寺化主「川田聖見」猊下をお迎えして、開眼法要がなされた。